米朝「鹿政談」
その昔、奈良のまちでは鹿がたいへんに大事にされていて。
鹿を傷つけたり、死なせてしまったりしようものなら、厳しく処罰されたといわれています。
万が一、朝起きて、自分の家の前で「小鹿が死んでた」なんてことになると、
お奉行に呼びつけられ詮議されてしまうものだから・・・
奈良の町人たちは、みな早起きで、万一家の前で鹿の死体があったりしたら、
こそっと隣の家に運ぶもんだ、などといわれておりました。
奈良のあるところに、うそをつかないことで有名な、真面目で正直者の豆腐屋がおりました。
豆腐屋の朝は早いです、暗いうちから仕込みをしておりましたら・・・
バタンと大きな音がして、家の前には小鹿の死体が・・・
豆腐屋は、真面目なひとだったので、隣の家になすりつけるようなことはしませんでした。
明るくなって、町は大騒ぎ。
豆腐屋は奈良奉行所にしょっぴかれてしまいます。
このときの奉行が、名奉行でした。
自分が鹿を殺したわけでもないのに、言い訳一つせず、
老いた母親と子供たちのことをくれぐれも頼む、、、
そういう豆腐屋の潔い態度に心打たれた奉行は・・・
小鹿の死体を取り調べの白洲に運ばせて。
『拙者の目には犬にみえる。皆の者、どうじゃ』
鹿を強引に犬にしていまい、
豆腐屋を無罪放免で解放してあげる、という噺。
上方落語では珍しい人情話です。
そもそも。
江戸落語にはお武家さまがいっぱい登場しますけど、
上方落語にはお武家さまって、ほとんど出てこない。
上方落語はほとんどが町人が主人公の噺で、
たまに登場するお武家さまは「情けない武士(これがくすっと笑いを誘う)」だったりするんです。
だけど、鹿政談のお奉行様は、じつに立派。
立派なお武家さま登場、というのは、上方噺のなかでは珍しいです(笑)
この鹿政談は、いい人情噺だということで。
江戸の噺家にも人気のある噺のようで、江戸の噺家さんも多くやってます。
小三治の鹿政談を聞いたときは、仰天しました。
ちゃきちゃきの江戸弁の小三治が・・・
鹿政談に登場する町人、お奉行など、みな流ちょうな「上方弁」になるのです。
東京のひとが関西弁をしゃべると、変なイントネーションになるんですよ(笑)
東京のひとには分からないかもしれないけれど、、、
関西の人間が聞いたら許せないレベルで変(笑)
でも、小三治は違う。
まったく違和感がない。
まるで関西の噺家さん?って思うくらいに自然なのです。
さすが人間国宝。天才です。
この鹿政談のポイントは。
「強引な屁理屈をこねてでも、健全な判断をする」
奉行がかっこいい、という点。
おそらく江戸時代の庶民たちは・・・
お上の、多くの理不尽なことに耐えていたのでしょう。
それをスカッと晴らしてくれるひとがいたらいいのに・・・
それは庶民のささやかな願いだったのかもしれません。
それがこういう落語噺に残されています。
もしかしたら。
江戸時代も今も、根っこの部分はあんまり変わっていないのかもしれません(笑)
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