平成最後の今年、この平成という30年間とはなんであったのか?、をよく振り返るようになりました。
過去を振り返る、というのは、年寄りの証拠であり(笑)、僕も年を重ねた、ということなのでしょう(笑)
昭和から平成に変わったのは、僕が大学生のころでした。
このころ、日本はバブル経済の真っ盛りであり、どういうわけだか、株とか不動産とかが急激な値上がりをし続けて。
世の若い女性たちは、ワンレンボディコンと呼ばれる格好で、夜な夜なディスコで踊り狂ったものであります(笑)
芸人の平野ノラ、みたいなひとが、ほんとうにいっぱいいたんです(笑)
ところが、これが平成3年(’91年)あたりに行き詰り始め、平成4年(’92年)には完全に崩壊します。
僕が社会人になったのは、平成4年(’92年)でした(苦笑)
この平成4年当時・・・
オフィスにはパソコンはありませんでした。
営業フロアには共有のワープロ(たしか富士通オアシス)が置いてあり、営業マンたちはそれを交代で「営業報告書」などを打っていたのです。
ケータイもなかったので、営業係長クラス以上は「ポケベル」を持っており、当時客先で一番喜ばれたノベルティは「テレホンカード」。
町中のあちこちに公衆電話があり、駅前にはずらーっと公衆電話ボックスがあって、そこに行列を作って並ぶ光景は日常風景だったのです。
社内決裁も基本は紙ベースで、「稟議書」を手で持ち歩いて上役にハンコをもらうのが当たり前の光景でした。
そして・・・
僕が社会人になって3年目、たしか平成7年(’95年)だったかと思います。
ビルゲイツというひとが考えたらしい「ウィンドウズ」というOSが登場し、インターネットという不思議なものが現れて、そこにさらにケータイ電話というどこでも電話ができる、という物体が登場し、急速に普及していきます。
インターネット普及に伴い、オフィス内に「電子メール」が導入されていったのもこのころです。
使い始めたころは、「なんだこりゃ、こんなもの、メモで渡せばいいじゃないか」と不思議な感覚に包まれたものです。
そして。
ケータイ電話を持っているひとは、「なにか分からんがなぜか大きなゼニを動かしてそうな職業のあやしい男」が持つもの、でした。
まさに平野ノラみたいな肩から下げるショルダーバックみたいな形状をしていたのです、当初は(笑)
しつこいようですが、ほんとにこんな風だったのです↓
いつのころか分からないけど・・・平成8年ごろ??かなあ。
ケータイ電話あ一気に「小型化」して、誰もが持つようになっていきました。
インターネットは「事業所」のものから、急速に「個人」で各家庭でも入り込んでいきます。
そして2000年をまわると、「スマートフォン」が登場。
そして、ついに・・・
今から10年前くらいでしょうか・・・
アップル社が「iPad」なるものを発明し。
Facebookをはじめとする「SNS」という聞きなれないものが、一気に普及。
モバイルとかタブレット、とかいうもので、いつでもどこでも「インターネット」を見ることが日常風景になっていきました。
空間工房の創業は平成17年(2005年)なのですが。
この当時の打合せ風景の主役は、住宅雑誌やカタログ、などの「紙」が主役でした。
テレビ放送もまだアナログ放送で。
テレビは薄いものではなくて、まだ「ごっつい物体」のものもいっぱいありました。
テレビがデジタル化されて、物体形状として「薄く」なり。
いつしか、住宅雑誌をいっぱい抱えて事務所に来られるお客様は皆無になり、「スマホかタブレット」で住宅写真を見ながら打合せすることの方が日常化していきます。
どのお客様も、みな「スマホかタブレット」を持っており。
そして、若いお客様は、ネットやSNSを駆使して、膨大な情報をチェックなさることが当たり前になっていきました。
そう・・・
情報、は。
今から30年前は、事業者側が圧倒的な情報量を握っていて、情報の少ないユーザーに提供する時代でした。
しかし、今や、逆転してしまった感があります。
情報量を図式化すると。
以前)事業者(提供者)>>>購入者(ユーザー)
↓
現在)事業者(提供者)<<<購入者(ユーザー)
そう、まさに逆転したのです。
こうなってくると。
ユーザーは「膨大すぎる情報」で「惑わされる」ようになっていきます。
情報過多、です。
ですので、事業者(提供者)に求められるのは・・・
【ユーザーにとって有益な情報を出せるか?】
つまり、情報の取捨選択能力、ということになっていきます。
しかし、事業者は同時に。
情報収集が日常化したユーザーに、「収集してもらえるよう発信」もしなければいけない時代になりました。
思うに。
平成という時代は「個が情報武装化した時代」というのが、僕の結論です。
いい点と悪い点があるでしょう。
ほんとに大きく変わりました。。。
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