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建物はときにシンボルになる

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この絵、、、 歴史の教科書で一度くらいは、見たことあるでしょう? 鹿鳴館、です。 明治初期に、日本で最初の国賓迎賓の建物として建てられた建物で。 設計は、お雇外国人教官だったコンドル、施工は大倉喜八郎(のちの大成建設創業者)。 レンガ造りの建物でした。 設計者のコンドルは、実はあまり経験豊富な設計者でなく、あがきながらやったようです。 1階は大食堂や談話室などで。 2階に上記の絵のダンスホールがあったといいます。 当時の日本人はダンスパーティーや欧米のマナーなど知る由もなく。 その食べ物の食べ方や、服装、立ち居振る舞いなどは、みな試行錯誤(というかほとんど錯誤)で。 当時、日本に駐在していた外国人たちは、日本人の「欧米ものまね」が滑稽に見えたらしく、日本人は嘲笑の対象にされてしまったといいます。 それでも、当時の外国人たちは、日本の懸命な努力を評価しました。 明治初期のころというと、江戸幕末時代から駐在していた外国人も多く。 彼らの多くは「磔の刑」や「打ち首」などを目撃しており、なんと残虐な後進国か、と思っていたのです。 それゆえに、わざわざ外国人に設計を依頼し、木造でなくレンガ造りで「ダンスホールやビリヤード場まで用意した建物」を建てて、ダンスパーティーまで見よう見まねで企画し、外国人の要人をもてなそうとしたのです。 その日本の努力の象徴が「鹿鳴館」でした。 鹿鳴館は昭和15年に取り壊されてしまいました。 現在の東京都千代田区内幸町1丁目1番地が、鹿鳴館跡地だそうです。 そうなんです。 建物というのは、ときには「ひとの営みの象徴・シンボル」にもなる。 これが建築のおもしろさのひとつ、とも言えます。 さて、今日の一曲。 モーツァルト「フィガロの結婚」

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